環境適応とは?

人間誰しも退化よりも進化していきたいものだと思うんですけど、どうでしょう?
ダーウィンの進化論の方が一般的なので、環境に適応して機能を変化させていると考えられている動物はその環境に合わせて「進化」していると世間的には思われているんですよね。

<ガラパゴス諸島でクチバシが島ごとに違うというフィンチ>


普通そうだと思うんですよね、えぇ、そうだと思います。環境に合わせられない奴らが「淘汰」されていくんです。
でも、それって考え方によっては「退化」とも捉えることができるのですわ。


ダーウィンの進化論だと環境に適応できない動物は淘汰されて、環境適応できた動物=進化した動物 が生き残るとされているわけですが、ヒトの祖先は水生成物だったといわれているわけで、今の人間をみるとどう考えても環境適応していないよね。水の中では生活できません。


ということは、自ら住み慣れた環境を捨てて、違う環境に適応させているわけだから、こっちの方が「進化」といえるのではないでしょうか。

<歩く魚:ハンドフィッシュ>


古代生物の話だと、「環境」というとほんとに生活する周りの「生活環境」ことを指すわけですが、我々に当てはめると、なにも生活環境だけでなく些細なこと(例えば電車で通勤するのを、自転車で通うようにしてみるとか、夜型生活から朝方生活に変えてみるとか)でも良いわけです。


「そんなの無理無理、やめときな」


って言われることをしてみると、自分の「環境」が変わっているのかもしれません。今までと違う環境に行こうとする努力が「進化」につながるんだろうなと思ったわけです。


まぁ、どのように「進化」したいかはよく考えたらいいと思うんですけどね。考えずにボーっとしていると、成りなくないものになるというのがうちの母の名言です。


個人的に最近考えてたのが、「現状維持=退化」だよなーってこと。現状維持では世の中変わっていくとどんどん置いていかれる。企業もなんで毎年利益を増やしていかなければ行けないかっていうと、利益が増えないような企業は先が見えている(企業努力を怠っている会社)なので、将来性は無いと考えられるからなんですよね。


ちょっと前は「利益でるなら無茶な売上目標たてんでもええやん。」って思ってたんですが、そういう考えはだめなんだなっていうのが最近よくわかりました。


つまり、
「環境適応=現状維持=退化(っていうか世の中に置いていかれる)」
ってことですね。


なかなか厳しい世の中です。
頑張らなくても、それなりには生きていけると思うんですけどね。


でも、それだと


「成りたくないものになるだけ」

なわけで。

何になりたいかはっきりさせてないといかんなーと思ってはいるのですが、それがなかなか見つからんというのが正直なとこですね。えぇ、これほんとむずいです。誰か助けてってちょっと思うわ(^^;

日々是反省、日々是精進、未来に幸あれ

0コメント

  • 1000 / 1000