SNSの利用方法

SNSなんて一昔前はミクシィくらいしかなかったのに最近は色々あるような、結局メジャーなものしか使ってないような、よくわからない状況になっていますが、結局個人的な意見を行ってしまうと、SNSに投稿する理由なんて


①:かまって(共有or コミュニケーション)欲求
②:自慢
③:宣伝
④:連絡ツール


に収束するように思えるんですよね(えぇ、あくまで個人的な意見です)。


先日、知人が

「他の人にはどうでもいいことですが、載せます。(場所)いきます!!」

と投稿していたのが非常に印象的でした。


なので、

「SNSなんて他人にとってはどうでもいいことを投稿するところなのでいいと思います。」

と思わず返信してしまったわけです。


ちなみに、私の利用方法と言うと、基本的に知人の生存確認と生態調査および自分の日々のメモと知人との連絡ツールです。このブログも誰かに見てもらいたいような、別にそうでもないような感じなので特にブログやってますとは宣伝していません。日々の考えをまとめた方がよいと思いましてやっております。


昔は他人に非常に興味が行っていたので、誰が何をしているか、自分の投稿に周囲がどのように反応してくれるかということを非常に気にしていたのですが、今となってはいろいろどーでも良くなったので、ホント日々のメモ程度の投稿になりました。


ミクシィをメインで使ってたときは、あれ日記だったのでやたら長い文章書いていたような気がします。ツイッターやFacebook、Instagramなんかは短文と写真を投稿しやすいですよね。昔はSNSに投稿するにもちょっとある程度まとまった文章を書かなければいけないというハードルがあったような気がしましたが、それをツイッターが無くして、facebookがその間の子、他のSNSが動画とか写真とか各メディアに特化していったような気がします。


んで、Facebookはホンマの知り合いの投稿を見るので、


「みんなこんなことやってんねんなー、考えてんなー、がんばってんなー、どーでもいいなー、これおもしろいなー、こんなの知らんかったわ−」


とか思いながらみているわけですが、nstagramで知人以外の色んな人の投稿を見ると


「へー、すごいねー」


くらいにしか思わんのです。


その理由として、Instagramの場合は②自慢&③宣伝の割合が多いんだろうなって思います(他人の投稿ね)。なので、投稿見ててもいまいちリアリティがないというか、「作った感」が ”ありあり” と出るわけです。


そこで、ふと思うわけです。

「やっぱ自分のコンプレックスを晒すって行為はしないよな、特に他人には」

と。


昔はひどかったけど、今は良い(例:昔デブで今はスリム)と言う場合は過去のコンプレックスは晒すわけですが、現在進行中のコンプレックスは晒さない。まぁ、当たり前といえば当たり前なのですが、投稿の中にはあまり無いかなと思うわけです。


知人の投稿にはかまって欲求を満たすための「****失敗した〜。」といった投稿はありますよ、もちろん。自分もたまにします。まぁ、それが本当にコンプレックスなのかというのは置いておいて、こういう良い(他人が羨むとおもわれる)ところと悪い(他人よりも劣ると周囲に思われる)ところの両方ないとリアリティって出てこないんだなと感じたわけです。


なので、当たり前ですが知人の投稿はリアルなのでリアリティがあります。ニュースも含め、他人の投稿はリアルではないのでリアリティが薄いまたはないというのが正直なところです。

Instagramの写真を色々みてておもったのは、物事の伝達にリアリティって必要なんだなっていうことだと、この記事の最後になって認識でしたわけでした。






日々是反省、日々是精進、未来に幸あれ

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